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チョッピィ(なみ)さん
                                                2004/5/31

 私の実家には一匹のシーズー犬がいる。94年に生まれたからもう10年、人間でいえば酸いも甘いも噛み分けた、いい大人、淑女といっていいだろう。名前はなみさん。しかし愛称はチョッピィさんという。なぜ、チョッピィなのか・・・そう、語感がぴったりとくるからだろう。顔が、仕草が、存在そのものがチョッピィというほかなのだ。

←生まれてから4年目くらいだろうか。まだまだあどけなく、わんぱくな表情だ。どこか凛とした雰囲気も持っていた。
→母親に抱きかかえられながらも、高いところが苦手なのは天性のもの。うつろげな視線に一抹の不安を覚える。 ↑右側にゴロンと転がったところ。窓から射す日差しが気持ちいいのだろう。この世の極楽を実感している。
↓手綱を振りほどいて自ら歩を進める。独立心旺盛なところがうかがえる。
←おそらく、我輩は犬である、ということを忘れているのだろう。まさに、惰眠を貪っている瞬間。番犬としての債務を放棄している。


 好きなものは、ビーフジャーキーとゴルフボール。テニスボールにも反応する。お友達はクマのプーさんだ。かじる事によってのみ愛情を表現できるので、プーさんもたまったものではない。耳や両腕はもうボロボロになってきている。立派な、傷害罪だ。


←ぐっとカメラ目線で近づいてくる。このカメラ、いい匂いがしたのかもしれない。
→親友のくまさんとご対面。二人きりのところを激写されて少し戸惑った様子でキョトンとしている。 ↑上目遣いというか、どことなく勝ち誇った様子。得意げである。
↓物思いに耽る一瞬。なにか辛いことでもあったのだろうか。心中察することはできない。
←「こいつ、友達なんかじゃないよ」と、あわてて否定するものの白々しい。このあと耳を引っ張って容赦なく振り回す、という暴挙に出る。


 チョッピィさんは人が大好き。みんな友達だと思っているのだろう。すぐに足元に駆け寄ってくる、現金な犬だ。しかし、見知らぬ人には手厳しい。精一杯の声を振り絞って吼えまくる。ナミさんとしては不法侵入者に対する警告措置なのかも知れないが、なんらの抗力も発揮していない。犬の遠吠えとはこのことだ。


←気分が乗らないときにはご主人様の「お手」という要求にも答えないことがある。まったく、えらくなったものだ。
→かたわらに銘酒・クロ・ド・ヴージョを置いて得意げなチョッピィ。ワインの似合うシーズー犬なんて、そうはいないだろう。 ↑ふてくされるチョッピィ。しょんぼりとしている。
↓顔の間近で激写。心の準備ができていないのか、無表情だ。
←「ワインなんかよりも、大切なものがある」そう言わんばかりに遠くを見つめるチョッピィ。立身出世を夢見ているのだろうか。


 それでもやはり、寄る年波にはかなわないのか、だいぶ落ち着いてきたように思う。ぐったりと寝そべっていたり、あまりはしゃいだりしなくなった。それというのも、大親友だったムメさんがいなくなったことが関係しているのかもしれない。時々、遠くを見つめる表情をするのだが、何を想い、どこをみているのか。犬やネコにしかわからないテレパシーというものが広い宇宙には存在するのかもしれない。我々文明を身に纏った人間達には見えない世界が、そこには広がっているのかもしれない。


←くまのプーさんを枕に眠たそうなチョッピィ。いろいろあって疲れたのだろう。
→出入り口前に場所を移し、うつぶせになりながら番犬の勤めを果たそうとしている。 ↑何かがあれば瞬時に起き上がれる、臨戦態勢だ。家の安全は私が守る、という使命感があるのだろう。

しん太、花子、ゴン太、ムメ、ウサギさんたちが眠る裏山。土に還ったというわけだ。
裏山から望む沼田の街。人間の手による開発が進み、とても便利にはなった。


 まだまだ元気なチョッピィさんも、いずれは老衰し土に還っていくことになる。その瞬間まで楽しく、精一杯、悔いのないよう生きていって欲しい。動物にも魂というものがあるのなら、きっと何かを感じ取ってくれるはずだ。ある因縁で、私たちと一緒に生活することになったチョッピィさん。肉体は永遠ではないが、一緒に過ごしたかけがえのない思い出は、魂というハードディスクにずっと記憶されるはずだから。

今日も、チョッピィさんは吠える。


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